代表あいさつ
皆さまこんにちは。
株式会社大悦工務店、代表取締役の依田浩一です。
私たち大悦工務店は
杉並区で現役を引退してこれからの新たな毎日を豊かでイキイキと過ごしたいと願っている人達のために、
いつまでも暮らしやすいくつろぎの場所を手作りで1軒1軒大事にしながら
困った時には電話1本で飛んでいって喜んで頂ける事に
生きがいを感じる工務店です。
私が受け継いだ大悦工務店について、
そして私自身の想いについて。
少しばかり、お付き合いください。
いま私自身が強く思う事があります。
それは「周りの人がいてくれるからこそ、自分がいる」
沢山の仲間、お客さまと出会い支えれられてきたからこそ、今の自分があり大悦工務店の家づくりに繋がっている。
振り返れば私の人生は、そんな出会いの人生だったように思います。
親父みたいな大工になる
小さいころは、いわゆるガキ大将でした。
弟の友達たちを引き連れて、原っぱに遊びに行ったり、野球をしたり。
友達と沢山遊んだ記憶があります。
家の中では四人兄弟の長男という事もあり、母親が夕食の時間に運んでくるお皿いっぱいのおかずを弟達の分を残さず食べてしまう。
そんなお兄ちゃんでした。
依田家は3代続く大工の家系。
家に職人が下宿に来ていたため、「親父の仕事は大工なんだ」と理解をしていましたし、
現場の手伝いもしていた事から、「大工になりたい」と思ったのは自然の事だったように思います。
それと同時に少なからず長男としてのプレッシャーは、幼いころから感じていました。
「オレが大悦工務店を継がなきゃしょうがないんだろうな」
中学生になる頃には、明確にそれを意識していました。
親父みたいな大工になる。
大悦工務店を継ぐ。
そう決意した私は新宿の工業高校に進学します。
入学当初はクラス全員がヤンチャな風貌をしていましたので、「やばいところに来ちゃったな…仲良くなれるかな…」と不安も多かったのですが、大人になった今でも関係が途切れる事なくお互いの事を応援できる仲間になれた事は、私の人生においてもとても幸福な事だと感じます。
友人たちがいてくれたからこそ、気付けた事が沢山あったからです。
「まずは他所で働いてメシを食えるくらいになってこい」
高校を卒業後、父の方針もありとある工務店で働き始めたのですが、なんと入社して4ヶ月で倒産してしまいました。
これから本格的に大工の修業が始まる。
そう意気込んでいた私にとっては、とてもショックの大きい出来事でした。
結局そのまま大悦工務店に入社し、見習い大工として働き始める事になったのです。
仲間の存在が気づかせた新たな決意
しかし、今思えば当時は本当に甘えていました。
本来であれば職人さんが来る前に自分が現場で待っていなくてはいけないのですが、職人さんが来るまで寝ているなんて事もしょっちゅう。
時には寝坊をして現場に遅れるなんて事もありました。
今振り返ると、とても甘えた考えだったように思います。
しかし、そんな私を変えてくれたのは仲間の存在でした。
友人が「太鼓で独立する、その為に佐渡に修行に行く」と言い出したのです。
彼は幼いころから同じ太鼓チームで汗を流した友人です。
当時、高校の友人達もそれぞれの夢を追いかけてがんばっていました。
ただ一人、私を除いては。
同じ環境で育ちながら、この差はなんだ…
そんな彼らの姿を見て、私は自分自身が情けなくなりました。
「オレ、なにやってんだろ…」
大工になりたい、大悦工務店を継がなくてはならない。
自分自身の覚悟の無さに落胆しました。
「…親父を超える存在になってやる。」
私は決意を新たに資格の勉強を始めました。
宅地建物取引主任者の資格、そして一級建築士の資格を取得しようと勉強を始めたのです。
社長就任 しかし…
勉強好きとは決して言えない私が、大工仕事と並行して勉強をする。
仕事と家庭と勉強との両立は決して楽とは言えませんでした。
しかし既に結婚していた妻のしのぶ、資格学校で出会い現在も大悦工務店の設計業務を請け負ってもらっている渡辺に支えられ、なんとか勉強を続けることが出来ました。
今の自分を変える、大悦工務店を継ぐ。
周囲の支えもあり、自分自身を変えるために必死に勉強しました。
その後、2度目の試験でようやく一級建築士の資格を取得。
そして33歳の時、私は大悦工務店の社長に就任する事になったのです。
「これからはオレが大悦工務店を守るんだ」
そう決意し、社長就任後も必死に働きました。
当たり前に大工仕事と社長業は違います。
手さぐりではありましたが、自分なりに良い会社にしようと必死だったと思います。
ところが、社長に就任して4年後。
私は病に侵されます。
とある古いビルの内装工事を依頼された時の事です。
私たちの仕事は内装のみだったのですが工事を終えた後、お客さまから「床が沈下しヒビが入ってしまいました」とお電話を頂いたのです。
私たちが担当したのは内装工事。
そのほかの施工には携わっていません。
しかし結局は謝罪をし、保証を致しました。
「自分たちの仕事をキッチリこなしただけなのに…」
「いや、しかしこれも自分の傲慢さが原因だったのかも…」
「人のためにキッチリ仕事をしただけなのに、なぜこんな事になってしまったのだろう…」
考えれば考えるほど、深みにハマりました。
そのまま体調を崩した私に下された病名は「鬱」。
自分は鬱には絶対にならないと思っていただけに、ショックが大きかったです。
しかし、社長の私がいなければ大悦工務店を守る事が出来ない。
結局は1日だけ休みを取り、2日目からは通常通りの仕事をこなしていました。
そして治す方法を必死になって考えました。
「どうすれば治るんだろう…」
自分なりに考えた末、私は薬を飲まず体を動かすことで鬱を克服する事を選択しました。
しかし、病はそう簡単に私の体から消え去ってはくれませんでした。
人間って繋がって生きているんだ
そんな時、私に一つの転機が訪れます。
お施主様のご自宅に訪問させて頂いた際に、一枚のハガキを目にしたのです。
そこには数か月後に有明で行われる、テニスの試合のお知らせが書いてありました。
「テニスやられるんですか?」
「やりますよ、興味があるならいい人紹介しましょうか?」
当時人と話すのが苦手だった私は新しい環境に身を置く事に不安もあったのですが、「これも治療のため」と、お施主様の紹介でテニスチームに入団することにしました。
これが私にとっての転機になりました。
テニス仲間の気さくな人柄に触れ、他愛もない話でコミュニケーションを取れる事が、次第に自分自身の心を癒してくれたのです。
年齢層もバラバラ、90歳近い高齢の方から、中学生の少年まで、幅広い仲間たちと交流する事が、私の心を少しずつ癒してくれました。
そして5年後、私は自らの病を克服する事ができたのです。
テニス仲間のお陰で、人とコミュニケーションを取る事に苦手意識もなくなりました。
人との繋がり、気持ちの通じ合いの大切さを実感する事が出来たからです。
「人間って繋がって生きているんだ」
病を通じて私はこの事を学びました。
仲間がいなければ、それに何より妻のしのぶと娘と息子、家族の支えがなければ、
もしかしたら病を克服する事も出来なかったかもしれません。
病に侵され、仲間たちとの交流のなかで、人を思いやる気持ちを再確認する事ができました。
いま私が思うこと
思えば以前福祉住宅のリフォームを依頼された時、
「ここに手すりをつけてもらえたから、とても楽になりました、ありがとう。」
そんな言葉をかけて頂いた時、とても嬉しく思った事があります。
偶然ではありますが、仕事、プライベートを通じて、現役引退後の皆さまとの交流、住まいのお手伝いを何度もさせて頂きました。
その中で「これからも現役を引退した皆さんの住まいの困りごとを解決したい」
「もっと地域の皆さまの役に立ちたい」
そうする事で「人の夢を広げたい」そんな想いが湧き上がりました。
だから私たちはこの杉並の地で、
現役を引退した皆さまが、今の生活を豊かでイキイキと過ごして頂くお手伝いをすることで、皆さんの夢を広げるお手伝いをしたいと考えています。
また街の大工として地域の皆さんの住まいの困り事を解決し、人の輪を作れる工務店でありたいと考えています。
それこそが街の大工としての使命だと、私はこれまでの人生を通じて学びました。
家族、仲間、そしてお施主様と地域の皆さま。
沢山の方に支えられ、今日まで大悦工務店を存続させることができました。
私たち大悦工務店は
杉並区で現役を引退してこれからの新たな毎日を豊かでイキイキと過ごしたいと願っている人達のためにいつまでも暮らしやすいくつろぎの場所を手作りで1軒1軒大事にしながら困った時には電話1本で飛んでいって喜んで頂ける事に生きがいを感じる工務店です。
大悦工務店がここ杉並区に事務所を移して、早20年余り。
妻のしのぶ、弟の光正、設計の渡辺、営業の鈴木、現場監督の秋山。
沢山の仲間達と一緒に、これからも地域に必要とされる会社として、在り続けたいと思います。
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